夏期特別入門講座@上野2016.7.31

晴佐久神父の入門講座は夏休み中ですが、今日はミサ後に特別講座があり、行ってきました。

私は30分も遅刻してしまったのですが、ミサからずっと出席していた友人に会い、全体の内容を教えてもらうことができました。

今日の晴佐久神父のお話で心に残ったのは、出エジプトの話でした。
何から出ていくかというと場所から、ということもあるし、思い込みの世界から、でもあると。

先日のショッキングな事件についても言及され、犯人の彼も、世の中に蔓延している「役に立たないと意味がない」という思い込みの犠牲者だったと、神父は語ったそうです。
(ここは友人から聞きました。感謝です)

あのような事件のあと、やはり心がざわついて晴佐久神父の言葉を聞きたかったので、出かけてこれを聞けてよかった、と友人も言っていました。

役に立たなくては意味がない、という強迫観念から福音の世界へ…は、それこそ出エジプトのような感じですね。

彼が事件を起こす前に出会いたかった…。と神父は悔しそうに言っていました。

彼は大麻につかの間の安らぎを求めたのかと想像しますが、それは飲んでも渇く水のようだなと思います。晴佐久神父の語るような「福音」にこそ希望や癒しを見いだしたいと思います。

晴佐久神父@福音の村2013.6.16

しばらく「福音の村」が見られなくなっていました。多摩教会のHPも一緒で、なにやら支障があったようです。スタッフのみなさまが大変苦労して作業してくださったのでしょう、昨日からめでたく復旧して、喜ばしいかぎりです。

 

さて、「メンテナンス中」のあいだ、Twitterで断片的に見かける説教が気になっていました。こちらです。

www.fukuinnomura.com

 

罪ではなく赦しを説く、晴佐久神父ならではのお話。お話の最後に出てくる、御衣のすそに触れて長年の心の出血が止まりましたという女性の言葉が、私にはとてもしっくりきます。とりあえず、今夜はこれが読めてすっきりしました。

 

いままで私は、そんなに「福音の村」の熱烈な読者だった自覚はないのですが、今回は、数日間禁断症状を感じるほどでした(笑)。たまに心が荒んだときなど、なんとなく「福音の村」にアクセスして説教をひとつ読んでみると、とてもすっきりするのです。

これからもお世話になります。

福音の村スタッフのみなさま、いつもありがとうございます。

晴佐久神父@浅草2016.5.26入門講座

「福音の村」に上がっていた説教で、晴佐久神父の入門講座がいよいよ始まったと知りました。基本的に、浅草教会で火曜午前と木曜夜、上野教会で火曜夜と木曜午前に開かれるそうです。1週間に4回ペースですが、4回ともだいたい同じような話をされるそうです。

さっそく浅草教会へお邪魔することにしました。夕暮れの駅を降りると、おいしそうな食べ物屋さんの誘惑を振り切って教会へ急ぎます。着いてみると、講座の会場は、教会のお堂の入り口わきにある小部屋でした。参加者は、神父と入門係さんも入れて15名ほど。部屋のまんなかに置かれた中華料理店風の円卓を、みんなでぐるっと囲んで座っていました。回を重ねるうちに、人数が増えてこの部屋では収まりきらなくなるかもな、と思いました。

 

さて始めましょうというところで、神父はメガネを置いてきてしまったといって席を立ち、戻ってくると「私はもの忘れが激しく、ものをどこに置いたかなどすぐ忘れてしまうんです。とくにメガネ。メガネを探すだけのために、1日の3%くらい時間を費やしあていますよ」と話し始めました。浅草教会の初めてのミサでも、「よく忘れる」と言っておられましたが、子どもの頃からそういう特性があるのだそうです。目の前のことに集中して、他のことは忘れ果ててしまう。軽いADHD傾向とおっしゃっていました。治療が必要なほどではないけれど、普通と明らかに違うと。

現在59歳の神父が(10歳はお若く見えますが)子どもだった頃は、社会全体にまだそうした方面への理解がなかったので、大人もどうしたらいいかわからず、ただ困った子ということで「それは、もう、よく 怒られた」そうです。「かわいそうでしたよ」と、ご自分でけろりと言っておられました。

晴佐久少年は大人たちから繰り返しこっぴどく怒られながら、「むだだよ」と心のなかで思っていました。彼は、どうしても自分のこの性質が変わらないことを正確に知っていました。それだけではなく、その「ありのままの自分」を神が愛してくれていることを知っていたのです。世の中の「こうでなきゃいけない、ああでなくちゃ」という基準から、まるでズレていても、そういうことと関係なく神は私を愛しているというのですね。

 

神父はひとしきり語ると「なんと皆さん、ここまでの話は、今日のマクラです」とイタズラっぽく笑ってから(真剣に聴き入っていたみんなは、こんな充実した話がマクラとはびっくりです)、この日の本題「幸せ(しあわせ)と、幸い(さいわい)」に入りました。
学問的な話ではないのですが、「幸せ」は条件に左右される相対的なもの、「幸い」は神からくる絶対的なもの。そう考えると、お金がなくて病気で不幸せ、でも幸いということがある、というお話でした。病気でずっと寝ていながら「私は息しているだけで幸せ(さいわい)です」と、神父に語った方がいらっしゃるそうです。神父はこの言葉にいたく感動なさっていたので、日曜の説教でも取り上げられるように思います。あとで福音の村を読みましょう。

 

印象に残ったところでは、「3つの願い」という昔話が神父は大好きだそうです。妖精だか魔法使いだかを助けた貧しい老夫婦が、「お礼に3つだけ、なんでも願いをかなえてあげる」と言われます。おじいさんが思わず「おいしいソーセージが食べたいなあ」とつぶやくと、見事なソーセージがどんと現れます。するとおばあさんは怒ってののしりました。「なんでも願いをかなえてくれるというのに、どうしてソーセージなんてくだらないものを。こんなソーセージ、あんたの鼻先にぶら下がってしまえばいい」。すると、その通りになりました。おじいさんはびっくりして、「なんとかしてくれ、私の鼻にくっ付いたこのソーセージを取ってくれ」。これが、3つめの願いとなり終了です(おじいさんとおばあさんは逆だったかもしれません)。


神父がなぜこの話を大好きかというと「人間の願いなんてそんなもんだから」というのです。人間の願いの愚かしさをよく表していると。そして、神の願いこそほんとうに「よい」。私たちは、自分の願いにこだわるのではなく、神の願いを信頼して生きればいい。なぜなら、神は「よい」お方で、あなたを愛しているから。

子どもがあれ食べたいこれが欲しいと言っても、お母さんは「もうすぐ晩ごはんでしょ」など言って、たいがいその場でかなえてはくれない。でも、もっとよいもの、健康にいい食事を用意してくれる。神もそうです。私たちは子ども。神はお母さん。私たちが考える以上に神は深く考えておられ、私たちを幸いで包んでくださる。

 

神父はそういった話のあと、次の点を付け加えることも忘れませんでした。
でも中には、お母さんが子どもを深く傷つけて、子どもがずっと苦しむということも現実にある。そういうお母さんの場合、子どもは自分のエゴを満たすための存在であって、子どものことをほんとうに考えていない。私はそういう人たち(子どもたち)にいつもこう言っている。あなたのお母さんはそういう人だったとしても、あなたという人を産んで、ここまで育ててくれたことには多少感謝してもいいかもしれない。しかし、「あなたのほんとうの親は別にいる」と。神があなたのほんとうの親、神は熱い思いをもってあなたをこの世に産み出し、愛し、ずっと見守って、やがてみもとに引き取り迎えてくれるのだと。


いわゆる毒親を「養い親」とみなし、神を「実親」とする発想が、神父の熱弁ゆえか新鮮に感じられてたいへん心に残りました。

 

 

晴佐久神父@浅草2016.4.17

 4月17日の日曜日、かの晴佐久神父を目当てに、カトリック浅草教会へ行ってきました。神父は4月に上野・浅草教会へ転任されて、この日が浅草教会で初めてミサを司式なさる日。下町の晴佐久神父はどんな感じなのかなぁとわくわく野次馬気分です。

 

 私は浅草教会へお邪魔するのも初めてで、スマホを頼りに知らない街を歩くのに手間取り、教会へ着いたのはカランコロンと開始の鐘が鳴りだした時でした。バタバタと建物に飛び込むと、ロビーでは居並ぶ人びとが見守る中、厳粛な面持ちの晴佐久神父が侍者の子どもさん方を従えて入場するところ。

 

 聖堂内はすでに満席のようでしたが、ロビーに並ぶ椅子のなかから案内係さんの隣に空席を見つけて落ち着き、あけ放たれた聖堂の扉からロビーまで朗々と響く神父の声に耳を傾けることができました。この日の聖書朗読は、使徒言行録13章、黙示録7章、そしてヨハネ福音書10章。晴佐久神父が「わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない(ヨハネ10:28)」と読み上げると、なんだかそんな気分になってしまうから不思議です(笑)

 

 説教は今までのように「福音の村」にアップしてくださるそうですから、安心して省略いたします。が、面白かったのは晴佐久神父が赴任後そうそう、教会から歩いて1分半のところにあるスーパー「ライフ」を発見した話です。日々の糧をここで調達しようと喜んでポイントカードをつくったけれど、しかし本当の「ライフ」、永遠のいのちは、ここ教会にこそあるのだと、声高らかに宣言なさっていました。我田引水というか、牽強付会というか、手近なものをなんでも「福音」に結び付けて、悪びれもせず、しかも聴衆も喜んで釣り込まれてしまう、いつもの晴佐久節。不信仰者の私もつい心が動いてしまい、くやしまぎれに「詐欺師だなぁ」などと思うのです。

 

 さらにこの日印象的だったのは、晴佐久神父が初めて浅草教会を訪れた30数年前の話でした。その頃、晴佐久青年はまだ21歳。闘病中の父上が浅草の病院に入院されていて、看病に通っていた晴佐久青年は病室の窓からこの教会を発見して聖堂を訪れ、ひざまずいて一心にお祈りしたそうです。でも父上はじきすぐに亡くなってしまうのですが。亡くなる前に青年は「神父になる」という決意を父上に打ち明けました。すると父上は「悔しい!」と言ってぼろぼろ泣いたそうです。「息子が神父になる姿を見ることができないのが悔しい」と。

 教会員の中にも目頭を押さえる方がいらっしゃいましたし、私もここらで涙腺が刺激され、あとの話は失念しました。後日「福音の村」を読もうと思います。なお、神父は多摩教会での最後の説教では母上の話をなさり、その話はすでに「福音の村」に挙がっていますが、なんとも琴線に触れる話でした。そして浅草教会での最初は父上の話という、なんだか禁じ手のような話を繰り出してくるのは、ひとことでいえばずるいけれど、やっぱりすごいです。

 

 さて、晴佐久神父はこの日が浅草でのお披露目とあって、ミサのあとには簡単なご挨拶と「私のトリセツ」のようなお話をされました。神父は物忘れが激しいたちで、普通の人の5倍くらい忘れてしまうそうです。なので、言ったからと安心しないで(絶対忘れますから)、どうかメモを渡してください(そうすれば忘れませんから)とのことでした。神父の机にはそうしたメモがいっぱい貼ってあるのだそうです。

 

 ちなみに、カトリック浅草教会は緑の庭に囲まれ、ステンドグラスが映える素敵なお堂でした。台東区の建築景観賞も受賞しているそうです(wiki)。教会員の方たちもさりげなく親切で、とても居心地よく過ごさせていただきました。ありがとうございます。