晴佐久神父@浅草2016.4.17

 4月17日の日曜日、かの晴佐久神父を目当てに、カトリック浅草教会へ行ってきました。神父は4月に上野・浅草教会へ転任されて、この日が浅草教会で初めてミサを司式なさる日。下町の晴佐久神父はどんな感じなのかなぁとわくわく野次馬気分です。

 

 私は浅草教会へお邪魔するのも初めてで、スマホを頼りに知らない街を歩くのに手間取り、教会へ着いたのはカランコロンと開始の鐘が鳴りだした時でした。バタバタと建物に飛び込むと、ロビーでは居並ぶ人びとが見守る中、厳粛な面持ちの晴佐久神父が侍者の子どもさん方を従えて入場するところ。

 

 聖堂内はすでに満席のようでしたが、ロビーに並ぶ椅子のなかから案内係さんの隣に空席を見つけて落ち着き、あけ放たれた聖堂の扉からロビーまで朗々と響く神父の声に耳を傾けることができました。この日の聖書朗読は、使徒言行録13章、黙示録7章、そしてヨハネ福音書10章。晴佐久神父が「わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない(ヨハネ10:28)」と読み上げると、なんだかそんな気分になってしまうから不思議です(笑)

 

 説教は今までのように「福音の村」にアップしてくださるそうですから、安心して省略いたします。が、面白かったのは晴佐久神父が赴任後そうそう、教会から歩いて1分半のところにあるスーパー「ライフ」を発見した話です。日々の糧をここで調達しようと喜んでポイントカードをつくったけれど、しかし本当の「ライフ」、永遠のいのちは、ここ教会にこそあるのだと、声高らかに宣言なさっていました。我田引水というか、牽強付会というか、手近なものをなんでも「福音」に結び付けて、悪びれもせず、しかも聴衆も喜んで釣り込まれてしまう、いつもの晴佐久節。不信仰者の私もつい心が動いてしまい、くやしまぎれに「詐欺師だなぁ」などと思うのです。

 

 さらにこの日印象的だったのは、晴佐久神父が初めて浅草教会を訪れた30数年前の話でした。その頃、晴佐久青年はまだ21歳。闘病中の父上が浅草の病院に入院されていて、看病に通っていた晴佐久青年は病室の窓からこの教会を発見して聖堂を訪れ、ひざまずいて一心にお祈りしたそうです。でも父上はじきすぐに亡くなってしまうのですが。亡くなる前に青年は「神父になる」という決意を父上に打ち明けました。すると父上は「悔しい!」と言ってぼろぼろ泣いたそうです。「息子が神父になる姿を見ることができないのが悔しい」と。

 教会員の中にも目頭を押さえる方がいらっしゃいましたし、私もここらで涙腺が刺激され、あとの話は失念しました。後日「福音の村」を読もうと思います。なお、神父は多摩教会での最後の説教では母上の話をなさり、その話はすでに「福音の村」に挙がっていますが、なんとも琴線に触れる話でした。そして浅草教会での最初は父上の話という、なんだか禁じ手のような話を繰り出してくるのは、ひとことでいえばずるいけれど、やっぱりすごいです。

 

 さて、晴佐久神父はこの日が浅草でのお披露目とあって、ミサのあとには簡単なご挨拶と「私のトリセツ」のようなお話をされました。神父は物忘れが激しいたちで、普通の人の5倍くらい忘れてしまうそうです。なので、言ったからと安心しないで(絶対忘れますから)、どうかメモを渡してください(そうすれば忘れませんから)とのことでした。神父の机にはそうしたメモがいっぱい貼ってあるのだそうです。

 

 ちなみに、カトリック浅草教会は緑の庭に囲まれ、ステンドグラスが映える素敵なお堂でした。台東区の建築景観賞も受賞しているそうです(wiki)。教会員の方たちもさりげなく親切で、とても居心地よく過ごさせていただきました。ありがとうございます。